ととの。雑感 一周目

・向日アオイ→プレイヤーの性的欲望を満たすための存在だという自覚。ゲームヒロインがメタ的に自身の役割を把握するとともに、プレイヤーの記憶に残る=セーブデータを多く残す(個別ルートに入る)ことを望む。アオイは、√分岐、√解放条件をメタ認知し、プレイヤーと同等の位置で語る。

・アオイが感情を取り戻すと、物語内存在(ノリ)として生きるようになる。しかし、ゲーム構造を語るメタ存在(シラケ)になると、感情を失う。これは、物語に没入し、その内容に感動的に接する(ノる)とともに、√分岐を考え、効率よくCGを回収しようとする(シラケる)プレイヤーのあり方そのものを写している。

・また、「助けてあげたい!」と思わせるような設定をアオイに与えることにより、序盤の物語のプレイヤーの感動が用意されるわけで、他の作品を含め、多くの美少女キャラクターが背負わされているものでもある。こうしたテンプレ美少女が自分の性的魅力を語り、それを目的に自分というモノは、作られたと言明することで、物語によって「無害なぼく」と一致していたプレイヤーが抱える暴力性を暴くことにも成功している。これは、宇野常寛がいう「レイプファンタジー」の構造であるともいえる。

・システム面でも、一周目クリア後にギャラリーを覗いても、未開放CGの枠などがそもそも用意されないことによって、一周目のヒロイン以外に目を向けること――それはプレイヤーが前提としていることでもある条件でもある――を相対化できるようなものになっている。絶対としているものを相対化するのは、倫理の条件でもある。ここでプレイヤー側の倫理が問われているのである。