シュタインズゲート メモ

スキゾ的→岡部倫太郎

パラノ的→鳳凰院凶真


世界内存在であるが、同時に複数世界線を行き来するプレイヤー(メタ的)という分裂を引き受けると、非倫理存在へ(まゆりの死の把握)。

鳳凰院凶真という妄想的人物がそもそも、まゆりを失わないために要請されたもの。そのため、その人格は、ある世界線のまゆりの一回性の死に対して責任を世界内存在として引き受ける。タイムリープものでの倫理を体現。


スキゾ的な営みをギャルゲー、エロゲーで行いつづけるプレイヤー(物語に感動しつつ、物語のあらゆるルートの存在に自覚的)と主人公は距離を取る。


グリザイアの果実/楽園 を観て。一姫

どこがどう良いのかと聞かれたら、「まぁ、なんかいいんだよ。」としか言いえない作品だった。

 

すべてが高水準で、満足しているが、主人公の狙撃時の弾丸描写など、映画でよく見る感じで、すべてがどこかで観たことのある演出であった。(ただし、OPの演出は特別カッコよかった!)

 

まさに王道エロゲー的なもので、この作品は98パーセントくらいキャラクターの魅力で成り立っている。そしてそのキャラクター達に魅力を感じるためには、ある程度の視聴者側の量的な「慣れ」によるエロゲー的な構成、あるいはキャラ萌えの記号としての身体、属性への理解が前提とされている。

 

そんなキャラ物としてのグリザイアシリーズにおいて、最も人気がありそうなのは主人公の姉の、風見一姫である。『果実』においては、攻略対象ヒロインの一人の回想に登場し、そのヒロインを危機的状況から救い出す役割を担う。そして、『楽園』では、物語の終盤、ヒロイン達が結集して主人公を救い出さなければならないときに、まさにデウスエクスマキナとして、それはその言葉の通り機械仕掛けの神であり、物語を万事OKな結末にするための超越者として登場する。

一姫は多くの役割を持つ者として存在する。基本的にこの人物は、主人公やプレイヤーにとっての「母」として表象される。主人公を姉という関係性で溺愛し、ヒロインの回想に出てくる際には、そのヒロインの危機をある程度までに制御する役割を担うことで、そのヒロインに一姫の弟である主人公を実際に会う前から欲望させるように仕向けている。加えて、本来なら用意される面倒くさい、物語が大団円で終わるための複雑な過程をそのキャラ性能でほぼ省略してくれている

ただ、重要なのは、その生まれ持った才能によって、彼女と比較される弟である主人公の境遇に「負い目」を感じているということである。もっと言ってしまえば、一姫は大人である両親よりも大きな社会的な評価を受けるほどの「天才」という象徴的ペニスを持つことで、主人公の「母」となり、加えて欲望を向ける対象にもなっている。

極めつけは、一姫が終盤に姿を現し、機械的な義手をつけて登場するところである。それにより、多くの視聴者の性的欲求の対象から少し外れた(マジョリティの欲望からズレる)と思いきや、物語の結末部で、ただ面白がって義手をつけていたことが明かされ、また、ノーマルな性的欲求の対象へと帰還する。

つまり、一姫はこの物語において最もコストがかかる部分、ハッキリ言えば、頭を使うところを全て解決してくれる便利な存在なのだった。